2007年のアップルの社員研修マニュアル(おそらく現在も使用)が響いたので記録しておきます。
Approach customers with a personalized warm welcome,
Prove politely to understand all the customer's needs,
Present a solution foe the customer to take home today,
Listen for and resolve any issues or concerns,
End with a fond farewell and an invitation to return.
------------------------------------------------------------
一人ひとりの顧客を温かく迎える、
顧客の全ニーズを丁寧に聞き出す、
その日に使える解決策を提示する 、
顧客が抱える問題や懸念に耳を傾け、解決する、
感謝とまた来店してもらいたいという気持ちを込めて見送る。
The Note of AM
国内精密機器メーカーに勤める社会人4年生の日々の備忘録。
2011年5月5日木曜日
グーグルがデザインする時に大切にしている10個の原則
グーグルがデザインする時に大切にしている10個の原則
01.人々に焦点を当てろー彼らの生活、彼らの仕事、彼らの夢に
02.全てはミリセカンド単位で数えろ
03.シンプルになると強力になる
04.初心者ユーザーを引き込み、上級者ユーザーを魅了しろ
05.革新に挑め
06.世界に通用するデザインを
07.今日と明日のビジネスのために計画せよ
08.気を散らさず、目を楽しませるようにしなさい
09.人々の信頼にふさわしいようにしなさい
10.人間味を加えなさい
01.人々に焦点を当てろー彼らの生活、彼らの仕事、彼らの夢に
02.全てはミリセカンド単位で数えろ
03.シンプルになると強力になる
04.初心者ユーザーを引き込み、上級者ユーザーを魅了しろ
05.革新に挑め
06.世界に通用するデザインを
07.今日と明日のビジネスのために計画せよ
08.気を散らさず、目を楽しませるようにしなさい
09.人々の信頼にふさわしいようにしなさい
10.人間味を加えなさい
2010年10月18日月曜日
松下幸之助さんのお話
松下幸之助さんが創業して間もないころのエピソード。
その頃の彼の会社は汚いバラックのような工場でした。
そこで出荷前の電球をつまらなそうに磨いている工員を見つけては、彼らの横に行って、
「君の仕事はええ仕事やなぁ」と言ったそうです。
工員は「何がええ仕事だ。ただ電球を磨いているだけじゃないか」と思います。
それに対して松下幸之助さんはこう答えたそうです。
「君の電球はな、どこで光るかあんた知ってるか?例えば子供たちがな、絵本を読んでいたとする。外が暗くなると、家の中はもっと暗くなるわ。そしたらどんな物語も途中で絵本を閉じなあかん。でも、あんたの電球1個あるだけで、子供たちのドラマは続行や。あんたは電球磨いてるのやないで。子供たちの夢を磨いてるんや。子供たちの笑い声が聞こえんか?モノづくりはモノ作ったらあかん。モノの先にある笑顔を想像できなかったら、モノを作ったらあかん。 」
この話を聞いた工員は、自分の仕事に誇りを持つことができ、楽しく仕事ができるようになりました。
先日の情熱大陸の森永卓郎さんも言ってたけど、
無駄な仕事なんかない。働くことで、社会に貢献することができる。
自分たちの仕事が多くの人たちの幸せにつながっていることを意識しながら、コツコツやっていかんとなぁと感ました。
その頃の彼の会社は汚いバラックのような工場でした。
そこで出荷前の電球をつまらなそうに磨いている工員を見つけては、彼らの横に行って、
「君の仕事はええ仕事やなぁ」と言ったそうです。
工員は「何がええ仕事だ。ただ電球を磨いているだけじゃないか」と思います。
それに対して松下幸之助さんはこう答えたそうです。
「君の電球はな、どこで光るかあんた知ってるか?例えば子供たちがな、絵本を読んでいたとする。外が暗くなると、家の中はもっと暗くなるわ。そしたらどんな物語も途中で絵本を閉じなあかん。でも、あんたの電球1個あるだけで、子供たちのドラマは続行や。あんたは電球磨いてるのやないで。子供たちの夢を磨いてるんや。子供たちの笑い声が聞こえんか?モノづくりはモノ作ったらあかん。モノの先にある笑顔を想像できなかったら、モノを作ったらあかん。 」
この話を聞いた工員は、自分の仕事に誇りを持つことができ、楽しく仕事ができるようになりました。
先日の情熱大陸の森永卓郎さんも言ってたけど、
無駄な仕事なんかない。働くことで、社会に貢献することができる。
自分たちの仕事が多くの人たちの幸せにつながっていることを意識しながら、コツコツやっていかんとなぁと感ました。
2010年7月19日月曜日
アシックス創業者鬼塚喜八郎「失敗の履歴書」
3,4年前の新聞広告で、アシックス創業者の鬼塚喜八郎さんに関するものがありました。
これは、鬼塚喜八郎さんが亡くなり、現在の社員達に鬼塚さんの功績を伝えようという試みのものですが、一人の人間の人生の詰まったもので、思わず読み入ってしまいました。
今日、読んでいた本の中にその広告が登場したので、ここに載せます。
「失敗の履歴書」
はじめてのサラリーマン生活は戦後3年でつまずいた。
私利私欲の経営者に愛想を尽かしたからだった。
そしてある日、
「もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかしと祈るべきだ」
という言葉を聞いた。
スポーツは健全なる心身を育成していく最良の方法だと知った。
戦後の混乱期のその時、すさんだ青少年たちを早く立ち直らせるためには
スポーツが役立つに違いない、そしてその普及こそが自分の務めだと感じた。
そこで靴屋を始めようと思った。
なぜ、靴屋だったのか。
靴はあらゆるスポーツに欠かせないと思ったからだ。
当時はたいていのスポーツが
ズック靴か地下足袋で代用されていた時代だった。
青少年が全力で打ち込み記録が伸びるようなシューズが必要だ。
使命感に目覚めた。しかし、やみくもな思い込みだけだった。
どんな靴がスポーツに合うのかわからない、まったくの素人だった。
初めてつくったのは、バスケットシューズだった。
ある高校の監督からの依頼だった。
新しい仕事への挑戦に心がときめいた。
仕事場にこもり、見よう見まねで、
連日深夜まで作業をしてなんとかカタチにした。
しかしそのシューズを監督に届けると、
わらじのようだと床にたたきつけられた。
練習場で球拾いしながら、選手の足を見ながら、
選手ひとりひとりから意見や注文を聞きながら、改良に改良を重ねた。
しかし、グリップの悪さだけはどうにもならなかった。
夏のある日、母親が夕飯にキュウリの酢の物を作ってくれた。
その時、皿の中にあったタコの足の吸盤に目が止まった。
この原理を靴底に応用すればいいかもしれないと思った。
そして吸着盤型のバスケットシューズが生まれた。
しかしそのシューズは、グリップが効き過ぎて、
ひっくり返る選手が続出した。
吸盤のくぼみを浅くして、ようやく、急発進、急停車どちらも可能な
鬼塚式タイガーバスケットシューズが完成した。
そのシューズを履いた高校のチームが優勝したのは、
それから遠い日のことではなかった。
品質に自信のあるシューズが生まれた。
しかし、知名度がまったくなかった。販路もなかった。自ら行商に出た。
地方を回った。旅館には泊まらず駅のベンチで寝た。
ろくなものを食べていなかった。
やがて肺結核にかかった。即刻入院を勧告された。
当時はまだ治療薬がなかったが、
なんともタイミングよく新薬が出て健康を取り戻した。
体調がよくなると前向きになった。
競技用のシューズの種類を増やしていった。
しかしまた1年後、結核菌が見つかった。
今度は死の宣告にも等しい診断を受けた。
会社の4畳半の宿直室にふとんを敷き、闘病生活が始まった。
喉まで結核菌に冒され声帯が破壊されて声が出なくなった。
毎朝社員を病床に呼び、言いたい事を紙に書いて仕事を続けていった。
死期が近づいていることを感じていた。
するとまた新薬が開発された。熱が引き、声も出始めた。
実に二度までも新薬に助けられるという幸運に恵まれた。
この時、スポーツシューズづくりにすべてを尽くそうと改めて強く決意した。
次はマラソンシューズの開発に没頭した。
走るとマメができて当然。マメを克服してこそ一流という時代だった。
しかしマメができないシューズがあれば、
もっといい記録ができるはずだと考えた。
当時のトップランナーに
「そんなシューズができたら逆立ちしてマラソンしてみせますよ」
と言われた。
さっそくマラソンに関する文献を貪り読んだ。
欧米の研究書や日本の特許もくまなく調べた。
しかしまだ科学的に研究されていない時代であり、
答えはどこにも見つからなかった。
ある日風呂場で何とはなしに自分の足をながめていて、はっと気がついた。
人間のカラダのことは靴屋がいくら考えてもダメだ。
肉体のことは医者がいちばんよく知っているにちがいないと
大学の医学部の教授のもとへ走った。
マメは火傷の現象と同じだということを知った。
衝撃熱を冷やし、
足の裏の炎症をいかにして軽くするかという具体的な課題を得た。
そしてヒントは意外なところにころがっていた。
タクシーに乗った時、エンジンが加熱して動かなくなってしまったのだ。
運転手がラジエーターに水を補給するのを忘れていたことが原因だった。
その時、足も水で冷やせばよいと思った。
さっそくこのアイデアで新しいシューズづくりに取りかかったが、
結果は散々だった。
シューズの底に水を入れると、足が重くなり、しかもふやけてしまう。
水冷式がダメなら、空冷式だと方針を転換した。
シューズの上部に目の粗い布を使い、
前と横に穴をいっぱいあけて風通しをよくした。
着地した時、熱い空気が吐き出され、
足が地面から離れると冷たい空気が流れ込むという
空気入れ替え式構造のシューズができあがった。
逆立ちしてマラソンしてみせますよと言った選手に試してもらった。
30キロではほとんど異常はない。
42.195キロ完走しても、足の裏は少し赤くなった程度で、
とうとうマメはできなかった。
その選手は信じられないという表情でいつまでも自分の足をながめていた。
何かを始めたらトコトンやらなければ気がすまなかった。
ムズカシイものから始めれば、あとは何でもできるが口癖だった。
だますより、だまされるほうがいい。
人に愚直の見本と言われてきた。面白みがないのは性分と居直ってきた。
なんでも食べ、どこでもよく寝て、くよくよしなかった。
まっ正直に生きてきた。走りに走りつづけてきた89年だった。
不器用な人生だった。最後まで頑固な靴屋の親父だった。
周囲を幸せにして初めて自分も幸せになれる。
会社を家族的運命共同体と呼んだ。
その家族の父が、2007年9月29日、突然、この世から消えた。
鬼塚喜八郎は、毎年新入社員を前にして、
古代から近代へと引き継がれたスポーツマン精神の5か条を、
いつも声高らかに読み上げていた。
(第1条)
スポーツマンは、常にルールを守り、仲間に対して不信な行動をしない。
(第2条)
スポーツマンは、礼儀を重んじ、フェアプレーの精神に徹し、
いかなる相手もあなどらず、たじろがず、威張らず、不正を憎み、
正々堂々と尋常に勝負する。
(第3条)
スポーツマンは、絶えず自己のベストを尽くし、最後まで戦う。
(第4条)
スポーツマンは、チームの中の一員として時には犠牲的精神を発揮し、
チームが最高の勝利を得るために闘わなければならない。
そこに信頼する良き友を得る。
(第5条)
スポーツマンは常に健康に留意し、絶えず練習の体験を積み重ね、
人間能力の限界を拡大し、いついかなる時でもタイミング良く
全力を発揮する習慣を養うことが必要である。
戦後の混乱期、スポーツの意味することが、
これからの生活、社会、
ビジネスなどのあらゆる場面に必要になると感じた鬼塚喜八郎。
人間の価値基準や行動基準が変わり、
人々が穏やかな気持ちで過ごすことが困難になりつつある昨今、
ここで定義されているスポーツマンは、
確かに、現代を生きるすべての人の道標になると思う。
そして、ここに新たな条項をひとつ、加えたい。
(第6条)
スポーツマンは、ころんだら、起きればよい。
失敗しても成功するまでやればよい。
今一度、あなた自身の人生に置き換えて読んでほしい 。
私利私欲の経営者に愛想を尽かしたからだった。
そしてある日、
「もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかしと祈るべきだ」
という言葉を聞いた。
スポーツは健全なる心身を育成していく最良の方法だと知った。
戦後の混乱期のその時、すさんだ青少年たちを早く立ち直らせるためには
スポーツが役立つに違いない、そしてその普及こそが自分の務めだと感じた。
そこで靴屋を始めようと思った。
なぜ、靴屋だったのか。
靴はあらゆるスポーツに欠かせないと思ったからだ。
当時はたいていのスポーツが
ズック靴か地下足袋で代用されていた時代だった。
青少年が全力で打ち込み記録が伸びるようなシューズが必要だ。
使命感に目覚めた。しかし、やみくもな思い込みだけだった。
どんな靴がスポーツに合うのかわからない、まったくの素人だった。
初めてつくったのは、バスケットシューズだった。
ある高校の監督からの依頼だった。
新しい仕事への挑戦に心がときめいた。
仕事場にこもり、見よう見まねで、
連日深夜まで作業をしてなんとかカタチにした。
しかしそのシューズを監督に届けると、
わらじのようだと床にたたきつけられた。
練習場で球拾いしながら、選手の足を見ながら、
選手ひとりひとりから意見や注文を聞きながら、改良に改良を重ねた。
しかし、グリップの悪さだけはどうにもならなかった。
夏のある日、母親が夕飯にキュウリの酢の物を作ってくれた。
その時、皿の中にあったタコの足の吸盤に目が止まった。
この原理を靴底に応用すればいいかもしれないと思った。
そして吸着盤型のバスケットシューズが生まれた。
しかしそのシューズは、グリップが効き過ぎて、
ひっくり返る選手が続出した。
吸盤のくぼみを浅くして、ようやく、急発進、急停車どちらも可能な
鬼塚式タイガーバスケットシューズが完成した。
そのシューズを履いた高校のチームが優勝したのは、
それから遠い日のことではなかった。
品質に自信のあるシューズが生まれた。
しかし、知名度がまったくなかった。販路もなかった。自ら行商に出た。
地方を回った。旅館には泊まらず駅のベンチで寝た。
ろくなものを食べていなかった。
やがて肺結核にかかった。即刻入院を勧告された。
当時はまだ治療薬がなかったが、
なんともタイミングよく新薬が出て健康を取り戻した。
体調がよくなると前向きになった。
競技用のシューズの種類を増やしていった。
しかしまた1年後、結核菌が見つかった。
今度は死の宣告にも等しい診断を受けた。
会社の4畳半の宿直室にふとんを敷き、闘病生活が始まった。
喉まで結核菌に冒され声帯が破壊されて声が出なくなった。
毎朝社員を病床に呼び、言いたい事を紙に書いて仕事を続けていった。
死期が近づいていることを感じていた。
するとまた新薬が開発された。熱が引き、声も出始めた。
実に二度までも新薬に助けられるという幸運に恵まれた。
この時、スポーツシューズづくりにすべてを尽くそうと改めて強く決意した。
次はマラソンシューズの開発に没頭した。
走るとマメができて当然。マメを克服してこそ一流という時代だった。
しかしマメができないシューズがあれば、
もっといい記録ができるはずだと考えた。
当時のトップランナーに
「そんなシューズができたら逆立ちしてマラソンしてみせますよ」
と言われた。
さっそくマラソンに関する文献を貪り読んだ。
欧米の研究書や日本の特許もくまなく調べた。
しかしまだ科学的に研究されていない時代であり、
答えはどこにも見つからなかった。
ある日風呂場で何とはなしに自分の足をながめていて、はっと気がついた。
人間のカラダのことは靴屋がいくら考えてもダメだ。
肉体のことは医者がいちばんよく知っているにちがいないと
大学の医学部の教授のもとへ走った。
マメは火傷の現象と同じだということを知った。
衝撃熱を冷やし、
足の裏の炎症をいかにして軽くするかという具体的な課題を得た。
そしてヒントは意外なところにころがっていた。
タクシーに乗った時、エンジンが加熱して動かなくなってしまったのだ。
運転手がラジエーターに水を補給するのを忘れていたことが原因だった。
その時、足も水で冷やせばよいと思った。
さっそくこのアイデアで新しいシューズづくりに取りかかったが、
結果は散々だった。
シューズの底に水を入れると、足が重くなり、しかもふやけてしまう。
水冷式がダメなら、空冷式だと方針を転換した。
シューズの上部に目の粗い布を使い、
前と横に穴をいっぱいあけて風通しをよくした。
着地した時、熱い空気が吐き出され、
足が地面から離れると冷たい空気が流れ込むという
空気入れ替え式構造のシューズができあがった。
逆立ちしてマラソンしてみせますよと言った選手に試してもらった。
30キロではほとんど異常はない。
42.195キロ完走しても、足の裏は少し赤くなった程度で、
とうとうマメはできなかった。
その選手は信じられないという表情でいつまでも自分の足をながめていた。
何かを始めたらトコトンやらなければ気がすまなかった。
ムズカシイものから始めれば、あとは何でもできるが口癖だった。
だますより、だまされるほうがいい。
人に愚直の見本と言われてきた。面白みがないのは性分と居直ってきた。
なんでも食べ、どこでもよく寝て、くよくよしなかった。
まっ正直に生きてきた。走りに走りつづけてきた89年だった。
不器用な人生だった。最後まで頑固な靴屋の親父だった。
周囲を幸せにして初めて自分も幸せになれる。
会社を家族的運命共同体と呼んだ。
その家族の父が、2007年9月29日、突然、この世から消えた。
鬼塚喜八郎は、毎年新入社員を前にして、
古代から近代へと引き継がれたスポーツマン精神の5か条を、
いつも声高らかに読み上げていた。
(第1条)
スポーツマンは、常にルールを守り、仲間に対して不信な行動をしない。
(第2条)
スポーツマンは、礼儀を重んじ、フェアプレーの精神に徹し、
いかなる相手もあなどらず、たじろがず、威張らず、不正を憎み、
正々堂々と尋常に勝負する。
(第3条)
スポーツマンは、絶えず自己のベストを尽くし、最後まで戦う。
(第4条)
スポーツマンは、チームの中の一員として時には犠牲的精神を発揮し、
チームが最高の勝利を得るために闘わなければならない。
そこに信頼する良き友を得る。
(第5条)
スポーツマンは常に健康に留意し、絶えず練習の体験を積み重ね、
人間能力の限界を拡大し、いついかなる時でもタイミング良く
全力を発揮する習慣を養うことが必要である。
戦後の混乱期、スポーツの意味することが、
これからの生活、社会、
ビジネスなどのあらゆる場面に必要になると感じた鬼塚喜八郎。
人間の価値基準や行動基準が変わり、
人々が穏やかな気持ちで過ごすことが困難になりつつある昨今、
ここで定義されているスポーツマンは、
確かに、現代を生きるすべての人の道標になると思う。
そして、ここに新たな条項をひとつ、加えたい。
(第6条)
スポーツマンは、ころんだら、起きればよい。
失敗しても成功するまでやればよい。
今一度、あなた自身の人生に置き換えて読んでほしい 。
2009年11月15日日曜日
目的&ルール
ブログを始める(やり直す)にあたって、改めて自分がブログをやる目的を確認する。
①日々の生活での気づき、想い、学びのアウトプットの場を設ける。
自分がインプットしたことをアウトプットすることで、その情報を自分の中に落としこむ。
②学んだこと、感じたこと、考えたことを書き留めることで、自分の頭の中を整理する。
脳内の情報を可視化することで、情報を整理整頓し、他人に充分伝えられるレベルに落とし込む。
③自己完結するのではなく、外に発信することを意識する。
ウチに目を向けるのではなく、ソトに目を向ける。
④考える・感じる習慣を作る。
自分の身の周りのことや世の中に対して、主体的にアンテナを張り巡らし、情報をキャッチする習慣を作る。
また、このブログの自分ルールを決める。
①ネガティブな記事はかかない。
反省<感謝(自分の未熟さを反省するより、周囲への感謝を感じる)。「いいこと」に目を向ける習慣を作る。
②なんとなくの記事をかかない。
記事の目的(自分の考えは何か、何でそれが気になったのか)をはっきりさせる。
③素直に書く。
自分を偽らない。誇張しない。等身大で書く。
④楽しんで書く。
義務を感じて書いても何もメリットはないので、書いてる本人が楽しむことが大前提。
この4つの目的・4つのルールは常に意識していよう。
①日々の生活での気づき、想い、学びのアウトプットの場を設ける。
自分がインプットしたことをアウトプットすることで、その情報を自分の中に落としこむ。
②学んだこと、感じたこと、考えたことを書き留めることで、自分の頭の中を整理する。
脳内の情報を可視化することで、情報を整理整頓し、他人に充分伝えられるレベルに落とし込む。
③自己完結するのではなく、外に発信することを意識する。
ウチに目を向けるのではなく、ソトに目を向ける。
④考える・感じる習慣を作る。
自分の身の周りのことや世の中に対して、主体的にアンテナを張り巡らし、情報をキャッチする習慣を作る。
また、このブログの自分ルールを決める。
①ネガティブな記事はかかない。
反省<感謝(自分の未熟さを反省するより、周囲への感謝を感じる)。「いいこと」に目を向ける習慣を作る。
②なんとなくの記事をかかない。
記事の目的(自分の考えは何か、何でそれが気になったのか)をはっきりさせる。
③素直に書く。
自分を偽らない。誇張しない。等身大で書く。
④楽しんで書く。
義務を感じて書いても何もメリットはないので、書いてる本人が楽しむことが大前提。
この4つの目的・4つのルールは常に意識していよう。
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